お話

2012年10月15日 (月)

瞳を閉じて

あなたを見つけたその日から、私の毎日は輝きを増した

 

あなたを好きになったその日から、私は生きる喜びを知った

 

あなたを愛したその日から、私は生まれた意味を知った

 

あなたは私の全て

 

あなたは私の生きる理由

 

☆     ☆     ☆

 

まだ暑さも抜けぬ9月の事だった

 

私は校舎の外で天気が悪くなっていくのを眺めていた

 

急に真っ暗になったと思ったら、有り得ない程の大雨が私を直撃した

 

あまりの出来事に、私は呆然とした

 

しかしそこは屋根もない所

 

見る見るうちに冷たく、水分を含んで重くなる制服を見て、我に返った

 

すぐ近くの通用口に入った

 

そこが何処かなど、その時の私にはあまり関係なかった

 

まだ週の半ばだというのに、制服をこんなにしてしまった事への後悔で頭がいっぱいだった

 

「うぁ、すっごいやん…。こりゃ、今日の練習は室内かな…」

 

すぐ後で聞きなれない方言が聞えた

 

振り返った私を見て、その方言の主と思われる人物は驚いた表情を見せた

 

「ちょっ…ジブン、ずぶ濡れやん!大丈夫か?」

 

「…あ、はい…」

 

周囲には誰もいなかったし、それは確実に私のことを言っていたのだろう

 

それが彼に初めて会った日だった

 

☆     ☆     ☆

 

中学生にしては随分と高い身長を、私は少し見上げる形になった

 

肩に掛けた大きな鞄

 

今時にしたら少し珍しい丸い眼鏡をかけている

 

しかしとても整った顔立ちだ

 

「ほら、これ使い」

 

そう言って大きめのタオルを差し出してくれた

 

「返さんで良ぇし。それ、あげるわ。要らんかったら、ほかしといて」

 

笑顔で言うと、彼は走って外へ飛び出してしまった

 

「あっ…!ちょっ…と…」

 

呼び止めようとした言葉も、彼には届いていないだろう

 

私は渡されたタオルをどのように扱えば良いのか、そんな事ばかりを考えていた

 

☆     ☆     ☆

 

「えぇ?!忍足君を知らないの?!!」

 

教室中に響くほど大きな声を友達があげた

 

「ちょっと…声大きすぎ…」

 

昨日の出来事を話し、タオルを渡してくれた主を探そうと思ったのだ

 

流石にそのままでもいけないし、何よりももう1度会ってみたかった

 

そうしたら、その主は私が思っているよりも有名人らしい

 

「忍足君って、あのテニス部の?」

 

他の友達まで興味津々で会話に入ってきた

 

どうりで昨日あんなに大きな鞄を持っていたのかと思う

 

あの中にはきっとラケットが入っていたのだろう

 

「しかしアンタもラッキー極まりないね!そのタオル、貰っちゃったら?!」

 

ニタニタといやらしい笑顔を向ける友達

 

どうやら昨日の彼こと、忍足侑士(というらしい)は、アイドルか何かのような扱いを受けているみたいだ

 

基本的に校内の事に関して無頓着な私は、テニス部員の人気たるものを知らない

 

勿論、部長の名前すら知らないのだ

 

しかも私達と同じ2年生らしい

 

タオルを返したいというのは変わらなかったが、人気者という事実に少し気がひけた

 

☆     ☆     ☆

 

取り立てて目立つことも無い、平凡な人生を歩んできた

 

お金持ちの家の子達が通う学校

 

そんな学校に入ったものの、さしてその自覚も無く

 

親には感謝しているが、私には何だか華美すぎる

 

勿論友達は良い子ばかりだし、学校生活も嫌いではない

 

しかし目立つことの苦手な私は、人気者だと言われる忍足君の傍に行くことすら躊躇われた

 

勇気を振り絞り、友達に教えてもらった忍足君のクラスへ行く

 

思っていたより、本人は大人しく教室に馴染んでいた

 

窓際で本を読んでいる様子だった

 

邪魔をしてしまうかも

 

そう思ったが、この機会を逃せば、もう一生渡せない気がした

 

仕方なく声を出す

 

「あの…忍足君…」

 

私の声に皆がコチラを向く

 

しかし本人は気付かない

 

「侑士、呼ばれてるよ」

 

可愛らしい女の子が忍足君に近寄って、そう告げた

 

彼女なのかな

 

そう思うと何故だか息が苦しかった

 

☆     ☆     ☆

 

「そんな、わざわざ良かったのに」

 

タオルを渡すと、忍足君はそう言った

 

「迷惑だったかな…?」

 

名前も知らない奴にクラスまで押しかけられて

 

ストーカーだと思われたらどうしようかとも思った

 

人気者なら、そういう被害もあるかもしれない

 

「迷惑だなんて、思うわけ無いやろ」

 

忍足君は優しく笑って答えてくれた

 

「ここやとうるさいし、他で話さへん?」

 

「…え…?!」

 

途端に手を掴まれ、みるみるうちに教室から離れていく

 

不謹慎ながら、私はとてもドキドキした

 

このまま何処かに連れて行ってくれないだろうか

 

そんな事すら考えた

 

「ここがオレのお気に入りなんや」

 

カフェテラスの隅にある2人席

 

ちょうど通路やほかの席からは死角になる位置にそれはあった

 

☆     ☆     ☆

 

読書が好きな忍足君は、何時も雑音に邪魔されぬよう、ここに来る事が多いのだという

 

「今日はラッキーやった。きっとこの為に此処へは来ぃひんかったんやな」

 

その言葉の意味を探る事は怖くて出来なかった

 

私だって、傷つくのは怖いから

 

それから暫く、色々な話をした

 

趣味の事や、家族の事

 

短い時間ではあったけど、とても楽しかった

 

「あ、予鈴だ…」

 

午後の授業が間もなく開始する事を知らせるチャイム

 

私達はそれぞれの教室に戻らなければならない

 

「また、此処で会えへんかな?」

 

突然の申し出だった

 

しかし私は断る理由を見つけられない

 

「勿論」

 

何曜日にとか、何時にとか、そういった約束ではなかった

 

でも何となくそれで良かった

 

彼は自分のペースでそこへ足を運ぶ

 

私は、気が向けば覗きに行く

 

タイミングが合えば話せるのだから、それ以上良い事はないだろう

 

☆     ☆     ☆

 

「あ、いた」

 

そう言って顔を覗かせれば、気の抜けた微笑を返してくれる

 

此処でこうするのは、もう5・6回目くらいではないだろうか

 

今日までの間に本当に沢山の話をした

 

私がテニス部の存在を殆ど知らなかった事も、勇気を出して打ち明けた

 

それでも忍足君は、嫌な顔一つ見せなかった

 

ファンクラブなどというものも存在するらしい

 

「私…ファンクラブ入ろうかな」

 

ポツリと零した言葉に、彼は顔色を変えた

 

「え、何で…?」

 

何故か

 

答えはただ一つだった

 

忍足君の事が好きだったから

 

「…」

 

少しの間があった

 

そしてその後

 

「ファンクラブには規約があるんよ?」

 

私はそういったものに所属した事が無かったため、検討もつかなかった

 

「出し抜き禁止」

 

「つまり、恋人にはなれへんっちゅーことや」

 

顔に?を浮かべていた私に、彼は加えて言った

 

「それでも構へんの?」

 

「…っ」

 

私は言葉に詰まった

 

本当は

 

特別な関係になりたかった

 

でも、そんな事が許されるとは思えなかった

 

だから、公的に好きだと主張できるなら

 

ファンクラブという形も有りなのかと思った

 

「それは…分からない」

 

☆     ☆     ☆

 

私があの発言をして以来、忍足君とこのカフェテラスで会うことは無かった

 

教室まで押しかければ迷惑になる

 

それに、そもそも私がファンクラブに入るだどと言ったから

 

きっと彼は私が怖くなったのだ

 

だから遠ざけた

 

きっとそうに違いない

 

心の中で整理をつけようとすればする程、胸が苦しくなっていく

 

友達でも良いから、あんな風に会話していられたら

 

それだけで良かったのに

 

なんて馬鹿な事をしてしまったんだろう

 

後悔の念で頭がいっぱいになった

 

もういっそ、泣いてしまいたかった

 

泣いて、この恋は終わったのだと自分に言い聞かせたかった

 

☆     ☆     ☆

 

「おった…!良かった…」

 

突然、上の方から声がした

 

顔を上げると、頭上から覗き込んでいる人が見えた

 

それは紛れも無く、私が恋焦がれた人物、本人だった

 

彼は私の前の席に座った

 

以前と同じ位置

 

「もう会えないかと思った」

 

「スマン。それはオレが耐えられへん」

 

誤られる理由が解らなかった

 

私には、これ程までに嬉しい言葉は無いから

 

「今日、オレ誕生日なんよ」

 

彼がこちらを見つめる

 

それは友達から聞いていた

 

本人の口からは初めてだったけれど

 

プレゼントなどを用意する事もできずにいた情けない私

 

友達と呼ぶにも日が浅い

 

まだまだ知らない事が沢山ある

 

そんな相手からのプレゼントでは返しに困るだろう

 

何よりも、嫌われたと思っていたから

 

保守的な自分をこの日ほど呪った事は無い

 

「目、閉じて」

 

不意に近づく彼

 

息遣いさえも分かる程の距離

 

私の肩に

 

そして唇に

 

体温が触れる

 

気付いた時には視界が涙でぼやけていた

 

「オレの特別になって」

 

「君の特別になりたいんや」

 

「…ファンでなくて?」

 

嬉しさと緊張で声が震える

 

「オレは君と特別な関係になりたい。ファンは、一方的すぎるやろ?」

 

この時私は始めて理解した

 

人を愛することの喜びを

 

そして、その相手が忍足君で良かったと

 

☆     ☆     ☆

 

「授業後、2人きりでお祝いしようね」

 

「当たり前やんか。その為に予定何も入れとらん」

 

あなたが傍にいてくれたら、私にはきっと怖いものなんて無い

 

無限の可能性を私にくれた

 

あなたがいなければ、私の世界は終わってしまう

 

この先もずっとずっと

 

愛し続けるよ

 

生まれてきてくれて

 

本当に

 

ありがとう

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2011年11月 4日 (金)

クイーン・ナイト

壇上に立っていた

 

多くの財団幹部や財団員に見つめられて

 

決意表明のような物だった

 

自分自身の言葉で、自分の望む平和の形を訴えた

 

それが受け入れられるのか、不安もあった

 

そんな不安に飲み込まれそうになりながら

 

泳ぐ目を悟られぬよう、周りを見渡すフリをした

 

私だって、そんなに強くはない

 

守られてしか生きていくことのできない弱い弱い存在

 

そんな私にも出来ることがあるのなら

 

そう思っていた

 

そして瞳が彼の姿を捉えた

 

強い眼差しで私を刺す

 

その眼差しは彼そのもの

 

私は彼の強さに憧れていた

 

(ヒイロ…)

 

向けられた銃口

 

(わたくしを殺しに来たのね)

 

私の思い描く

 

理想

 

平和

 

それは絵空事

 

きっと彼はそう言いたいのだと思った

 

私にも自分の理想を実現出来るかは分からない

 

けれど誰かが実現しなければならない

 

それが私には無理と言うのなら

 

あなたがそう思うのなら

 

(良いわ。ヒイロ、わたくしを殺して)

 

静かに目を閉じた

 

次の瞬間

 

聞えてきたのは銃声ではなく、会場中に広がる拍手

 

ハッと顔を上げるとそこにはヒイロの姿は無かった

 

集まって賞賛を称えてくれた財団幹部の人たちの間を掻き分け、ヒイロの姿を探した

 

彼ならばきっと人通りの多い所を堂々と通って会場を出て行くはず

 

ガードマンに扮しているから、もしかしたら裏口に回っているかもしれない

 

ドレスの裾も気にせずに走った

 

そして彼の姿を再び見つけた

 

「ヒイロ!待ちなさい、ヒイロ!」

 

彼、ヒイロ・ユイはゆっくりとこちらを振り返った

 

「リリーナ」

 

「ヒイロ…」

 

久しぶりに近くで見た彼の姿

 

とても懐かしいような、不思議な気持ちになった

 

「わたくしを殺しに来たのでしょう?」

 

「もう止めた」

 

またしても強い眼差しが向けられる

 

「何故?だってわたくしの言う平和はただの空想なのでしょう?」

 

「そうだ。だが、お前ならそれをやってのけれるんだろう?俺はそう感じた。だから殺さない」

 

「けれど…わたくしには自信がないわ」

 

そう言うと彼は顔を歪めた

 

「らしくないな。何時もなら当然という顔をするじゃないか」

 

私は少し視線を落とす

 

ヒイロのほんのささやかな動きを見つめながら呟いた

 

「わたくしが実現したい完全平和は間違ってはいない。けれど、お父様が実現させられなかった事をわたくしに本当にできるのかしら」

 

「リリーナ」

 

「途中で道を外してしまうかもしれない。わたくしは弱いから…わたくしの為に命を落とす人も出てくるかもしれない。そんな犠牲を出してまで作る平和が真の平和と呼べるのかしら」

 

ヒイロは微かな動きも止め、こちら一点を見つめた

 

その視線に胸が詰まる

 

「いいか、お前は間違ってない。お前にならできる。戦いに理由を探す俺には到底無理なことだ。だからお前がやるんだ。その為に俺はお前を殺さなかった」

 

彼自身の意思と、強さが隠されること無くこちらに向けられる

 

その全てを彼の瞳が語っていた

 

「分かったわ、ヒイロ。わたくし、やってみます」

 

彼の言葉が私に歩き出す力をくれる

 

何時だってそうだった

 

これで何度目だろう

 

私は彼の言葉をより深くで受け止めていた

 

「でも、1つだけ条件があります」

 

「条件?」

 

彼は首を傾げた

 

「わたくしが、もしも間違った方向へ進んだら、その時は…」

 

「…」

 

「その時は、迷わずわたくしを殺しなさい」

 

彼は私の言葉にピクリとだけ反応し、すぐさま息を吸い込んだ

 

「…了解した」

 

「だからそれまでわたくしの傍で。一緒に生きて、ヒイロ」

 

懇願とは違う

 

しかし彼の意思がどうあれという含みを持たせたその言葉

 

私は彼の返事を聞く前に再び言葉を足した

 

「ヒイロ、あなたは強い。そして優しい。その強さと優しさがわたくしには必要なのです」

 

「お前程じゃない」

 

「あなたは分かっていないだけです。わたくしなんかではあなたに到底及ばない」

 

私がそういうと彼は静かに目を閉じた

 

「分かった」

 

「ヒイロ…!」

 

「俺がお前の理想とお前を守る。そしてもしもの時はお前を殺す。それで良いんだな?リリーナ」

 

「ええ、勿論。それではヒイロ、あなたをクイーン・リリーナの騎士として財団に迎えます」

 

私はずっと怖かった

 

自分の理想が本当に合っているのか

 

その為の行動が平和へ繋がっているのか

 

けれどもう怖くはない

 

ヒイロ、あなたがいてくれるなら

 

私は自らの過ちすら恐れる事無く立ち向かえる

 

あなたが正してくれるから

 

導いてくれるから

 

私はあなたを信じてる

 

そしてあなたに感謝している

 

彼の唇がそっと私の手の甲に触れた

 

跪く彼に微笑んだ

 

「ありがとう、ヒイロ」

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2011年10月15日 (土)

その言葉の先

私は戸惑っています

 

あなたへの想いの質量を測りかねているのです

 

胸の高鳴りはどうやったら静まるのですか

 

この不安はどうやったら消えるのですか

 

あなたの言動1つ1つに一喜一憂するのです

 

それはあなたが好きだからですか

 

それとも

 

☆     ☆     ☆

 

随分と高くなった空を眺める

 

秋晴れというに相応しいほどのいい天気

 

その下で私は恋人の侑士と公園デートをしていた

 

侑士とは学生の時に知り合った

 

それから何度か食事をしたり、遊んだり

 

友達のような関係を2年ほど続けた

 

侑士と私は同い年だったが、医大の侑士よりも先に私が就職した

 

そんな頃からだっただろうか

 

2人の関係は次第に変わり始めた

 

会う回数は増え、時間も長くなった

 

気持を抑えられないと告げられたのは丁度1年前の事だったと思う

 

そうして交際を始めた

 

ゆっくりと時間を重ねて

 

会える日はできるだけ傍にいた

 

この先もそうしていきたい

 

そうしていけると思いたい

 

本当は無理だと知っているけど

 

作ってきたお弁当を頬張りながら、他愛のない会話をする

 

テレビだったり、天気だったり、インターネットのニュースの話題だったり

 

そんな日が長くは続かない事を彼は今日告げに来たのだということも知っていた

 

それは何となく

 

空気で分かるものなのだ

 

「勝手な奴やって、責めてくれて構わへんから」

 

なんてずるい言葉だろう

 

私がそんな事をできるはずも無いと知っておきながら

 

「そんなの無理だよ…だって…」

 

溢れる涙を抑えることができなくて

 

私はポロポロと涙を零した

 

「だって今日は侑士の誕生日じゃない。私への償いに、責められた思い出の誕生日を刻むなんて。そんなこと考えないでよ」

 

そんな記憶を持ったまま生きていくなんて

 

心が痛くなる

 

裏切られたとか、そんな感情じゃない

 

切なくて、一緒にいたいのは事実

 

でもそれを押し通すことも彼には迷惑になる

 

この感情は一体何だというの

 

こんなに苦しいのは何故だろう

 

彼を思う気持ち

 

それは一体どんなものなの

 

好きじゃ足りない

 

大好きも違う

 

だったら、答えは1つしかない

 

「ねぇ、侑士。今から言う事、忘れてね。約束だよ」

 

☆     ☆     ☆

 

「侑士、愛してる」

 

一泊置いて彼は笑った

 

「オレも、愛してる」

 

結局彼を困らせることしか出来なかった、2人で過ごす最後の日

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いけないご主人様

その日の前夜から、私はソワソワしていた

 

何時もよりも随分と早めに起床できるよう、目覚まし時計のアラームをセットした

 

普段はそんな事、一切しないのだけど

 

その日に着る服も用意した

 

極秘に入手したそれを、バレないようにクローゼットへ押し隠す

 

これで大まかな準備は整った筈だと、床についた

 

当日

 

アラームが鳴ると同時に起きる

 

結局緊張の為かあまり眠れなかったからか、起きるのは逆にスムーズだった

 

用意した服に着替え、ソファーに座る

 

時間が来るまでじっとまっていた

 

そしてノックの音が聞えた

 

敢えて返事はしない

 

再度ノックされる

 

「まだ起きられへんのですか?入りますよ」

 

そうして入って来た人物を、私は出迎えた

 

「お帰りなさいませ、ご主人様」

 

そう言われた相手は目を真ん丸くさせていた

 

「お嬢様、これは一体・・・」

 

彼は冗談で返しているわけでも何でも無い

 

普段から私は彼に「お嬢様」と呼ばれている

 

榊グループ創設者直結の家系の私の家は、普通よりも豊かな生活をしているのだと思う

 

他を知らない私は、比較の術がないが、家に使用人がいる事は一般的ではないのだと思う

 

そんな私が、その使用人に対して「ご主人様」と発しているのだ

 

それは驚かれるだろう

 

そして他の使用人に頼んで入手したメイド服なども着ているものだから、その驚きは倍なのだろう

 

「だって今日は侑士の誕生日だもの。普段のお礼にご奉仕しなきゃ」

 

侑士とは目の前にいる使用人の名

 

フルネームを忍足侑士という

 

父親が関西の人らしい

 

幼い頃から兄妹同然だった

 

私専属の使用人だ

 

「お心遣いは嬉しいのですが、何分慣れへんもんですから」

 

「遠慮しないで。何なりとどうぞ」

 

私が微笑むと、侑士も微笑んだ

 

「ほな、その服と口調をやめて貰えへんですか?」

 

「え、どうして?」

 

「お嬢様の為に私がいるのに、そのお嬢様に奉仕されては面目が立ちません」

 

「そんなの関係ないじゃない。今日は侑士のために頑張る日なの。そうさせてよ」

 

私がそういうと彼は観念したというようにため息をついた

 

「お嬢様には敵いません。ほな、遠慮のぅ」

 

次の瞬間には私はベッドに横にされていた

 

その方法は至って簡単

 

単純に押し倒された

 

今日限りメイドの私が言うのもアレだが、とても使用人とは思えない行動だ

 

「もう、いけないご主人様ね」

 

微笑んでいると、少し強い眼差しが私の瞳を覗いた

 

「お嬢様があかんのですよ。そんな格好してるから」

 

そして今度は強く抱きしめられた

 

「むっちゃ可愛い。良ぅ似合っとります」

 

「やだ、もうっ…」

 

私は突然の言葉に恥ずかしくなった

 

私達は使用人と主人

 

そして兄妹のように仲が良い

 

いいや

 

本当はそれ以上の関係だった

 

とは言え、付き合っているというわけではない

 

それはきっと許されない事だから

 

ただお互いにお互いの好意を知っていた

 

そしてそれを否定も肯定もせずに、持て余していた

 

「キス、しても良ぇ?」

 

「嫌だ、と言ったら?」

 

「お嬢様は、そんな事言わへんやろ?」

 

「そうね、私、ご主人様が好きだもの」

 

「オレも、お嬢様が好きや」

 

そうして薄く目を閉じて唇を重ねた

 

一生明かせない秘め事を二人で共有した日

 

この日は彼の誕生日だった

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幸せな毎日

彼に告げた言葉

 

そこには何一つとして嘘は無かった

 

そして後悔も無かった

 

何度と無く口づけをしたのに

 

伸ばした手は触れられず、掴む事等もってのほかだった

 

暖かい体温も

 

力強い抱擁も

 

全て初めから無かったかのよう

 

堪えきれずに声を上げた

 

するとそこで何かが途切れたような気がした

 

目を開けると鮮やかな光の中にいた

 

暖かい温もりと、彼の香りがした

 

とても心が落ち着く

 

「…ん、おはようさん」

 

少し伸びをして、眠たそうな声を向ける

 

私の愛しい人

 

「おはよう」

 

挨拶を交わす

 

いつもの事なのに

 

とても特別に感じる

 

あの夢の所為だろうか

 

「とてもね、怖い夢をみたよ」

 

呟いてみた

 

「どないな夢や?」

 

彼は聞き返してくれる

 

とても些細な事

 

それが重要なサイン

 

私を想ってくれている

 

そう実感する

 

その幸せが無くなる

 

あるいは、最初から無かったのだと言われているような夢だったと告げた

 

彼は私を抱きしめる

 

そう、私の大好きな力強い抱擁

 

すっとこのままでいたい

 

皮膚すら邪魔だとは、よく歌の歌詞なんかであるだろう

 

でもそれが真実だと思う

 

このまま離れられなければ良い

 

そう思う

 

「それは夢や。こっちが現実。オレはここにちゃんとおるで」

 

「うん。そうだね」

 

気持が高まる

 

同時に喉が詰まる感覚に襲われる

 

あぁ、まただ

 

私はすぐこれだ

 

気持ちのダムが溢れる

 

頭だけでは制御できないから、制御出来るように体を使う

 

ポロポロと零れる

 

体温に近くて暖かい雫

 

彼はそれにハッと気づく

 

そして私の頭を撫でる

 

「今日のは何泣きや?」

 

私がこうなるのは珍しい事では無い

 

そしてその理由が彼には分からない事が多い

 

だから決まって彼は私の涙の理由を尋ねる

 

「分からない…でも、安心泣き、かな…」

 

「ほな、もっと安心したら良ぇ」

 

そう言って更に強く抱きしめられる

 

普段丸い背中がピンとなる

 

骨がきゅうきゅうと音を立てるんじゃないかと思うほどの力

 

「くるし…苦しいよ…」

 

「あ、スマン」

 

すぐに力が緩められる

 

ほっと息を吸い込むと同時に、残念な気持ちにもなる

 

苦しくなければずっとああしていたかったのに

 

「もう1回」

 

「何や、苦しい言ぅたり、もう1回言ぅたり。我侭な子や」

 

そう言いながらも彼はまた抱きしめてくれる

 

暖かくて、幸せで

 

「離れたくない」

 

「オレも」

 

寒い日には1つの毛布を2人で被ったり

 

暑い日には窓を全開にした車で街を走ったり

 

電車の旅では身を寄せ合って眠ったり

 

長いバスの道では手を繋いだり

 

キスも

 

ハグも

 

沢山

 

沢山

 

積み重ねてきた

 

そんな毎日

 

「これからもずっと一緒にいてくれる?」

 

「勿論や」

 

彼といるだけで

 

いられるだけで

 

そんな幸せな毎日

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2011年6月23日 (木)

3days

今日はあいつが帰ってくる日

 

中学から氷帝学園に行き、高校もそのまま氷帝

 

大学も医学部のある東京の学校

 

何時になったら大阪に戻ってくるのかと思ったら、就職もそのままあっちでしてしまいそうな勢い

 

そんな俺の従兄弟が、夏休みを利用してこっちに来るようだ

 

前回戻ってきたのは正月だから、半年程度ぶりだろうか

 

心なしかワクワクするのはただ単に久しぶりに会うからだろう

 

ユーシの帰省期間は3日

 

何時もユーシが帰省する時にはユーシの実家に俺が転がり込む形で一緒に過ごす

 

歳が同じということも、テニスをしていたこともあり、俺たちは多分友達や家族以上に近い間柄だった

 

それは今でも変わらない

 

今日、あいつはこっちに帰ってくる

 

 

 

 第1日

 

午前9時

 

『10時には駅に着くで』とメールが入る

 

俺はいそいそと準備を始める

 

小学校低学年の時は家も近所で同じ小学校に通っていたが、途中でユーシが転校したため、今では実家が少し離れた場所にある

 

とは言っても電車で15分

 

それほど遠くも無い場所だ

 

俺は荷物を全てまとめ、駅へ急いだ

 

午前10時

 

待ち合わせの場所に着いた

 

すると向こうからこちらを見ている人物に気づく

 

「ユーシ!」

 

「おぉ、ケンヤ。久しぶりやなぁ!」

 

ユーシからこちらに近づいてくる

 

改札を出ると示し合わせることもなく、ユーシの家に足を向ける

 

2人の荷物を家に置くことが何よりも優先だ

 

午前10時30分

 

ユーシの家に到着する

 

以前の家は良く訪れていたが、この家に引っ越してからはユーシも東京に行ってしまったため、俺も訪れるのはユーシの帰省中だけとなってしまった

 

「あぁ久しぶりの我が家やなぁ」

 

「俺も久しぶりや」

 

玄関前でお互いに笑い合う

 

「おーい、侑士君が帰ったでー!」

 

「謙也君もお邪魔するでー!」

 

玄関で叫ぶ

 

これは何時ものこと

 

「ただいま」の挨拶なのだ

 

「はいはい、侑士お帰り。謙也君、久しぶりやねー」

 

キッチンの方角から決してバタバタと音は立てずにユーシの母親が玄関に顔を出す

 

「荷物置いてき」

 

靴を脱ぐとすぐに2階に上がる

 

滅多に使われることの無い侑士の部屋に入る

 

閑散としていて生活感が全く無い

 

東京のユーシの部屋もあまり大差ない生活感の無さだが、それとはやはり違う

 

そこに2つの荷物を置く

 

静かな部屋に色ができた気がした

 

午前11時

 

「さて、と」

 

そろそろ出かけようかという空気が2人を包む

 

「久しぶりに道頓堀でも行きたいな」

 

道頓堀とはユーシにとって、小学校低学年まで住んでいた所

 

俺は今でも住んでいる場所

 

正月にユーシが帰った時には親戚一同現在のユーシの家に集まったから、道頓堀には行かなかった

 

というよりも行けなかった

 

ユーシが親戚のチビ達の相手に精一杯だったからだ

 

「良ぇか?」

 

「おう、良ぇで。この3日はお前に付き合ぅたるわ」

 

滅多に会えないからお互いが訪問した際には相手のやりたい事に付き合うのが俺たちのルールだった

 

「おおきに」

 

午後12時

 

「夕方には帰る」とユーシの家族に伝え、道頓堀にやって来た

 

「せや、うちの弟がお前に会いたいて煩いんや。少し会ぅてやってくれるか?」

 

「構へんよ。オレも会いたいわ」

 

「ほな、今メールしとくわ」

 

俺は弟の翔太にメールをした

 

確か今日は予定も無く家でゴロゴロしているだけだろうから、すぐに返事も来るだろう

 

そうこう言っている間にもすぐ返信が帰って来た

 

流石俺の弟だけあって、メールの早打ちは慣れている

 

「翔太の奴、すぐ来るて。よっぽど会いたかったみたいやで」

 

「そこまで思ててもらえると、嬉しいモンやな」

 

翔太が来るまでの時間、道頓堀の1番有名であろう通りを歩いた

 

「謙兄!侑兄ちゃん!!」

 

とびきり跳ね上がるその声はあたり一面の空気を一瞬裂いた

 

午後12時30分

 

翔太と俺たちは合流した

 

「翔太、久しぶりやなー。また背ぇ伸びたんとちゃうか?」

 

「せやで!身体測定でまた伸びとったんや!」

 

大学2年の俺の弟、翔太は何故かまだまだ伸び盛りで、ユーシは会う度に目線の位置が変わることに少し戸惑っていた

 

「そや、オカンから『これ侑ちゃんに』って」

 

翔太は何やら預かって来たみたいだ

 

それにしてもユーシの顔と言ったら

 

未だに「侑ちゃん」呼びには慣れない様子だ

 

「その侑ちゃんっちゅーのは止められへんのか・・・?」

 

「もうアカンと思うで。今更止められへんと思うわ」

 

「さよか」

 

半ば諦めの表情を浮かべつつ、ユーシは「おおきにって伝えといてな」と、翔太から紙袋を受け取った

 

中にはオカンお手製の菓子が入っていた

 

午後1時

 

俺たちは昼食をとることにした

 

「大阪っちゅーたら、やっぱ粉モンか?」

 

などと定番な事を言ってみる

 

「せやけど、たこ焼きなんてなんぼでも自分で焼けるしなぁ」

 

ユーシはこちらを見る

 

小さい頃はよく、どちらのたこ焼きが上手か競い合っていたものだった

 

「マクドっちゅーのも淋しいやろ?」

 

「オレは別に構わへんけど」

 

「そんなん侑兄ちゃん久しぶりにきて、東京でも食べれるモンて・・・淋しいやん」

 

翔太はユーシがせっかく来たのだから、と歓迎モードだった

 

「せやったらお好み焼きで良ぇやろ」

 

「せやな」

 

お好み焼きは特別普段から家で焼いたりはしない

 

だが、大阪の味でもある

 

俺の一言ですぐに意見はまとまった

 

午後2時

 

「あー、ぎょうさん食べたなー」

 

「ホンマ、美味かったな」

 

俺たちはお腹いっぱい昼食を食べ、店を出た

 

この後の予定は決まっていなかったが、ぶらぶらと散策を始めた

 

心斎橋のアーケード街など、観光客も多い通りを行ったり来たり

 

時折店に入っては服を見たり

 

「うわ、何これ!メッチャ安いやん!680円やて!」

 

翔太が変な柄のTシャツに反応した

 

「やめとき!そんなん20歳にもなって着とったら笑いモンやで」

 

俺の説得の甲斐あって、何とかその場は無事に終わった

 

翔太は何故だか趣味が変だ

 

本人が笑われるだけなら良いが、その被害は俺にも被ってくる

 

「謙也君の弟ってオモロイ服着とるんやな」とか、しょっちゅう言われる

 

俺の身にもなってくれ

 

「相変わらずやな、翔太は」

 

そんな様子をユーシは楽しそうに見ている

 

楽しんでくれているのは良いのだが、俺はまた変な物を見つけないか、内心ヒヤヒヤなのだ

 

午後4時

 

ウインドウショッピングもひとしきり終わったところで、俺たちは大型スポーツ用品店に入った

 

目的があったわけでも無かったが、昔よく訪れていた場所が懐かしくなったのだ

 

「あれ、俺らが使ぅてたやつ。まだあるんかな?」

 

「あぁ、ラケットな。どうやろ?廃盤になってたりしてな」

 

自分たちがそのラケットを握っていたのはもう8年も前の事

 

高校からは勉強が主になり、テニス部現役という訳にはいかなくなっていた。

 

俺たちはかつての自分たちがお世話になった品を探し始めた

 

とはいっても、家に帰れば捨てずに保管してあるそれを手に取ることが出来るのだが

 

「あ、これやないか?あったで!!」

 

それを一番最初に見つけたのは翔太だった

 

翔太は大学でもテニスサークルに入り現役だ

 

俺が家を継ぐと決めた時、翔太は黙って頷いた

 

果たしてどんな気持だったのか、聞いてはいない

 

「ホンマや。まだあったんやなぁ」

 

ユーシはそれを手に取り眺める

 

俺とは違い、開業医ではないユーシの父親の後を追いかけることを悩んでいたユーシは、きっと俺よりも決断の時に振り切った物が大きかったのだと思う

 

きっとその中には、テニスも入っていた

 

暫く無言の間が続いた

 

ユーシはどこか優しげに、どこか淋しげにただそれを眺めた

 

何が言いたいかは分かっていた

 

それを聞くのは野暮というものだろう

 

その事を俺も翔太も知っていた

 

だから、ただユーシが満足するまで待った

 

午後5時

 

「何やかんやで遅なってしもたな」

 

スポーツ用品店を出た頃には空の色が薄っすらと変わり始めていた

 

「今日は遅ぅまでおおきにな」

 

「侑兄ちゃんとなら幾らでも平気や」

 

「ほな、またな」

 

「またこっち来てや!そんで、また遊んでな」

 

「おぅ」

 

ユーシは翔太の頭に手を乗せてクシャクシャと触った

 

「そんならオカンによろしゅう言ぅといてな。帰るの明後日やさかい」

 

俺は家に帰る翔太に伝言を頼み、ユーシと一緒に歩き出した

 

「早帰らな夜になってまうわ!急ぐで!」

 

急にユーシがそう言った

 

家を出る時に母親に言った言葉を思い出したのだろう

 

俺たちは小走りに駅まで向かった

 

午後6時

 

無事にユーシの家に帰宅

 

「あ、謙也君やないのー。久しぶりー」

 

笑顔で出迎えてくれたのは母親ではなく、ユーシの姉だった

 

「侑ちゃんも、久しぶりやねー」

 

「あぁ、せやな」

 

何度見ても飽きないものだ

 

この家のこのやり取りは

 

ユーシは玄関先で全てのエネルギーを奪われたかのように、そこから黙ってしまった

 

「あれ、静かやないの。夕飯できてるで」

 

ユーシの母親がそう言って、食卓に座るよう俺たちを促した

 

午後8時

 

談笑をしながらの夕食を終えた俺たちは、一度ユーシの部屋に戻った

 

「姉貴が風呂上がったらケンヤ入って来ぃ」

 

「了解や」

 

この家での入浴の順番は決まっている

 

一番風呂が大好きなユーシの姉は、必ず一番に入る

 

次にユーシなのだが、ユーシは何時も俺を間に入れてくれる

 

そしてその頃には帰宅しているユーシの父親・最後に母親といった順番だ

 

早い者勝ちのうちとは大変な違いだ

 

午後9時

 

ユーシの持っている参考書のページをパラパラめくっていると、二階に設置されている内線のブザーが鳴った

 

それはユーシの姉が風呂から上がったという知らせだった

 

「終わったみたいやし、行ってき」

 

「せやな。ほな、先に失礼するわ」

 

「おぅ」

 

俺は着替えなど一式持って浴室へ向かった

 

広々としたそこには石鹸の良い匂いが立ち込めていた

 

どこかしこに置いている女性物の小物に意味も無く反応してしまった

 

かつて同級生の白石の家に遊びに行った時もそうだった

 

あそこの家も妹がいるから

 

うちといえば男兄弟で、唯一の女性はオカンだけ

 

年の近い女性が普段いない分、妙に緊張してしまう

 

とはいえ、変な気を起こすとか、そういうのは一切ないが

 

午後9時15分

 

風呂から上がると、リビングにいたユーシの母親に「お先でした」と一言告げて二階へ上がった

 

「お先ー」

 

「おぉ、早かったな」

 

「そぉか?何時も通りやで」

 

「相変わらず、カラスの行水やな」

 

ユーシはそんな事を言って笑った

 

「ほな、次入って来よ」

 

「行ってらー」

 

「行ってきー」

 

などと緩い言葉を交わしながらユーシは部屋を出る

 

俺はテレビの電源を入れる

 

映ったのは、近日シリーズ第三章が公開予定の映画

 

そのTV版第二章だった

 

第一章は先週放送されていたようだ

 

俺はどれも見たことが無かったが、ユーシから聞いて、大体の内容は知っていた

 

途中からではあったが、他のチャンネルを見てみてもパッとしなかったので、俺はそれを見ることにした

 

午後10時半

 

ユーシが部屋に戻ってきた

 

「あれ?遅かったなぁ」

 

「ちょっとな、姉貴に捕まっててん」

 

「さよか」

 

ユーシが戻ってきた時には物語りは架橋

 

俺はTVから目を離さずにユーシと会話をした

 

すると、俺のすぐ隣にユーシが腰掛けた

 

嗅ぎ覚えのある石鹸の香りがした

 

「この匂い・・・」

 

「せやねん、姉貴の間違ぅて使ったら、どやされたんや」

 

口調からして、きっと苦笑いしていたのだろう

 

「その後恋愛相談や」

 

「へー」

 

「反応薄いな」

 

ユーシは笑った

 

オレ弟やで、なんて言いながら

 

「それにしても、これ今日放送やったんやな」

 

「先週1やっとったらしいで」

 

「来週3公開やで」

 

「俺は映画館には見に行かへんやろうな」

 

「ん、知っとる」

 

ユーシは何度も見たであろうストーリーをまた追い始めた

 

ちらりと横目で見たら、真剣な眼差しをしていた

 

「なぁ、明日映画でも観に行くか?」

 

「ケンヤから誘うなんて珍しいやんか」

 

「んー、何となく。気が向いたんや」

 

「良ぇな。一緒に行くんは久しぶりやし。行こか」

 

「決まりやな」

 

明日の予定を立てていなかった俺たちは、ちょうど良い内容を見つけた

 

午後11時20分

 

映画の放送も終わり、TVを消した

 

急に静かな空気が部屋を包む

 

「姉貴な、結婚…考えとるんやって」

 

突然ユーシが切り出した

 

さっき相談を受けた内容なのだろう

 

どこか浮かない表情だった

 

「何や、淋しいんか?意外とシスコンやな」

 

茶化して笑うと「アホか。ちゃうわ、ボケ」と叱られた

 

そんな事は分かっていた

 

ただ少し空気を変えようと思ったのだ

 

ユーシもそれを知ってのツッコミだろうが

 

「相手の姓に、入る予定やって」

 

「…さよか」

 

それはつまり「忍足」の家を持つのはユーシになるということ

 

「長男ってな、案外辛いねんな。ケンヤ」

 

「せやな。辛いな」

 

俺はただ出来ていたレールの上を、ただ真っ直ぐに歩いてきた

 

やんちゃもしたが、そのレールを自分の物として理解し、受け入れた

 

俺はそれで良かった

 

「オレに出来るんかな」

 

ユーシも親の敷いたレールの上、俺よりも大人しく従って歩いてきた

 

その先に自らの描く未来を重ねられるのか、不安がっているのがよく分かった

 

俺は運が良かっただけ

 

恐らく、ユーシが普通なのだ

 

俺が答えを出しあぐねていると、下の玄関先で鍵の音がした

 

「あ、オトンが帰ってきたわ。すまん、ケンヤ。あれやったら先寝とって。オレ、ちょっとオトンと話してくるわ」

 

「おぅ、ほなまた明日」

 

「また明日」

 

そう交わすとユーシは下に降りていった

 

俺は電気を消し、布団に潜った

 

それから何時間もユーシは帰って来なかった

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3days

 第2日

 

午前9時

 

遅めの起床

 

携帯のアラームを止めると同時に隣を見ると、いつの間にかユーシは部屋に戻ってきていたらしい

 

久しぶりにみる従兄弟の寝顔だった

 

「…もう朝か?」

 

「せやで。もう9時や」

 

「えらい寝てしもうたな」

 

ユーシは苦笑いを浮かべながら髪の毛をクシャクシャと触った

 

「ほな、朝飯食べよか」

 

「せやな」

 

ダイニングに向かうと、そこにはユーシの母親が座っていた

 

「おはようさん。謙也君、良ぅ眠れた?」

 

「もうバッチリ」

 

「せやったら良かったわ。朝御飯用意してあるから、ゆっくり食べてね。侑士も、一緒に食べるんでしょ?」

 

「おぉ、食べるで」

 

「了解っ」

 

ユーシの母親は鼻歌交じりにキッチンに立った

 

たちまちに良い香りがしてくる

 

「お待ちどうさん」

 

目の前に出されたのはクロックムッシュだった

 

「謙也君、青汁も飲む?」

 

「良ぇの?」

 

「勿論。そのためにこの間買ぅたんやし」

 

そういって、出してくれた

 

何だか食い合わせは微妙な気がするが、関係無い

 

思わぬ好物の登場に、テンションが上がった

 

「侑士は紅茶で良ぇのよね?」

 

「おおきに」

 

ユーシの母親は手際よく紅茶をいれ、ユーシの前に差し出した

 

基本的に食べる速度が速い(とはいっても、俺の方が数倍速いのだが)2人は、すぐに全てを食べてしまった

 

「ごちそうさまでした。めっちゃ美味しかったわ」

 

そう言うと、ユーシの母親は嬉しそうにしていた

 

午後11時

 

朝食後に出かける準備をし、家を出る

 

幼い頃から2人で映画を見る時にはお世話になった映画館があった

 

今回もそこに向かう

 

決して大きくはないそこは、スクリーンが3つ

 

ポップコーンなどのお菓子もあまり置いてはいないが、何故か良い映画が上映される

 

毎回そこの券売の前でケンカをするのが俺たちのお決まりだった

 

俺は洋画のアクション系しか興味が無い

 

一方のユーシは洋画・邦画問わず、恋愛ものの映画が好きだった

 

男2人並んでラブロマンス映画なんて、虚しすぎる

 

そういう俺にユーシも引かない

 

結局お互い折れず、何時も2本観て帰る事となる

 

流石にこの数年は学習しているので、初めから2本観る事は決定している

 

午後12時

 

映画館の最寄駅に到着した

 

「先に昼でも済ますか」

 

「せやな」

 

映画を観るとなると、1本少なくても2時間は見積もらなければならない

 

俺たちは先に昼食を食べる事にした。

 

地下鉄の出口を出てすぐの交差点

 

そこにあるカフェに入った

 

「テラス席があるで」

 

「アホ言いなや。誰が男2人で座って楽しいんや」

 

「言えてるわ」

 

こんな冗談も慣れたものだ

 

案内された席に着く

 

メニューを見ながら考える

 

「俺、肉が食いたいな」

 

「ハンバーグあるやんか」

 

「せやねん。どれにしよ、めっちゃ迷う」

 

「早決めんかいな。オレもう決めたで」

 

「あー、当てたるわ。せーの」

 

「「オムライス」」

 

「ほらな!…うーん、よし、俺も決めたわ」

 

「ほな店員さん呼ぶで」

 

食事を注文し、来るまでの間はどちらの映画を先に観ようかなどと話していた

 

「お待たせ致しました」

 

「うわ、めっちゃ上手そうやん」

 

「ほんになぁ」

 

出来たばかりと言わんほどのそれは周りの温度すら上げるほどに湯気を出していた

 

真夏には少しキツかったか、などと笑いながら、これまたすぐにたいらげてしまった

 

午後1時

 

俺たちは券売の前に着いた

 

かつての光景を思い出しながら、映画の上映時間を知らせる掲示板を見上げた

 

「1時15分からの2枚と、3時40分からの2枚」

 

「はい、毎度」

 

「おばちゃん、おおきに」

 

券売にいるおばちゃんは昔から変わらない

 

俺たちが子供の時からおばちゃんと呼んでいたが、今思えばその時はもっと若かったのだと思う

 

席は今時の指定ではなく、早い者勝ちの自由席

 

俺たちが座席に着くと間もなく場内が暗くなった

 

最初に観るのは俺の希望したアメリカのアクション映画

 

カーチェイスなどのシーンが多めだと前評判からあったものだから、俺は俄然やる気を燃やしていた

 

午後3時半

 

場内が次第に明るくなる

 

映画上映終了のサイン

 

俺たちは感想を述べる暇もなく、次のスクリーンへと移動した

 

次の映画はユーシの希望通り、恋愛物

 

人気小説の実写版だそうだ

 

俺はタイトルすら知らなかった

 

何でも、かなり泣けるらしい

 

男同士でそんな泣ける映画

 

2人とも本気で泣いてしまったどうするつもりなのだろう、と余計な心配をしてしまう

 

それでも予定時刻はやってきて、再び場内が暗くなった

 

午後6時10分

 

2時間半にわたる大作は終了した

 

予想外に、ユーシは至って冷静な素振りだった

 

逆に俺の方が所々危なかったのが何だか恥ずかしかった

 

俺たちは映画館を後にして、どこか喫茶店にでも入る事にした

 

「あー…あんまり長く座ってたさかい、腰が痛いな」

 

「俺も、同感や」

 

そんな会話をしつつ、メニューに目を通す

 

「ホットにしよかな」

 

「あぁ、オレも」

 

何故だか物凄い勢いでクーラーがかかっていたので、思わず暖かい飲み物を頼んでしまった

 

「どっちも良かったな」

 

ユーシが改めて言う

 

「せやな。予想以上に楽しめたわ」

 

恋愛物でもあそこまで感動できるのなら、それはそれで良いのかもしれない

 

今まで一緒に観た中では相当良い方だと思う

 

それは作品が良かっただけなのか、俺が少しは大人になったからなのか

 

そんな事は深く追求しないままにした

 

午後7時半

 

映画の感想をひとしきり話したところで、俺たちは家に帰る事にした

 

行きに来た道を引き返しながら、何となく心に隙間が出来たのを感じた

 

「明日、帰んねんな」

 

「せやな」

 

「3日なんて早いもんやな」

 

「また帰って来れば良ぇだけの話や」

 

「…それもそうや」

 

「それにケンヤも東京遊びに来れば良ぇねん。翔太も連れて。来たら良ぇよ」

 

「ホンマやな」

 

たったそれだけの事

 

傍にいなければ別段感じることも無いのだが、一度こうして会ってしまうと何となく離れがたいと思ってしまう

 

大したことは無いのだ

 

ただ気の会う友達や家族その全ての役割をお互いがお互いに担ってきたから、その存在が遠い所にいるというのが少し淋しいだけなのだ

 

「見てみぃ、綺麗な空やで」

 

「ホンマやな。明日も晴れそうや」

 

午後8時半

 

俺たちは無事に帰宅した

 

その時には珍しくユーシの父親も帰宅していた

 

「オトン、早かったんやな」

 

「今日は急患もあらへんかったしな」

 

もっとこう、言いようのない空気なのかと思ったが、2人の間に流れていたのは重たい空気では無かった

 

食卓に全ての食事が並び、皆で手を合わせる

 

口々に「いただきます」と言い、料理に手をつける

 

俺の家よりも手の込んだ料理が多い

 

俺はこの家の料理が好きだ

 

食事中はやはり他愛のない話で盛り上がる

 

それは昔からずっと変わらない

 

ユーシは観てきた映画について熱く語り、姉は恋人を今度家に連れてくるという話をしていた

 

ユーシの心中は定かではなかったが、少なくとも落ち込んでいる感じはしなかった

 

むしろ、無関心といった様子で聞いていた

 

俺はその話に耳を傾けながら、結局聞けずにいた昨夜のユーシと父親の話し合いの結果ばかりを気にしていた

 

「謙也君は?最近オモロイ事なかったん?」

 

ふいに母親から話をふられた

 

真剣に思い出すだけの容量が頭には残されておらず、適当に最近あった同級生との話をした

 

幸い皆は笑いながら聞いてくれた

 

午後9時半

 

夕食を終え、当然の如く部屋へ向かった

 

俺たちは映画のパンフレットを広げながら、入浴の順番を待っていた

 

途中、ユーシが主演女優の唇がエロかったなどと、マニアックな発言をする

 

俺は昔から慣れているので聞き流しつつ、その間にも、ユーシの恋人になった子は大変だなどと変なところにまで考えを巡らせていた

 

小一時間経った辺りでブザーが鳴った

 

俺は入浴の準備を始めた

 

午後11時

 

入浴を終え、部屋に戻る

 

するとユーシはベッドに横になり、半分寝ていた

 

「ユーシ、起きや。風呂空いたで」

 

ユーシは眠たそうな瞼を少し開け、こちらを見た

 

「あぁ、ケンヤ。上がったんか」

 

「おう、お先やったな」

 

「ほな、オレも…」

 

ユーシはのそのそと立ち上がった

 

ユーシが風呂の間はまた暇になる

 

俺はユーシの部屋の本棚からまた参考書を引っ張り出し、勉強していると見せかけて、ただそれらのページを捲っていった

 

几帳面に引かれたライン

 

しかしそれには法則性が見受けられない

 

ページによって線の量がまちまちだった

 

すぐに俺は参考書を閉じ、予め敷いてあった布団に横になった

 

天井を眺め、何を考えるという事なく、ボーっとした

 

暫くして部屋の扉が開き、ユーシが戻ってきた

 

ユーシは何か手に持っている様だったが、寝転がっていた俺は、すぐにそれが何か分からなかった

 

「なぁ、ケンヤ。これ、覚えとるか?」

 

起き上がってみると、ユーシの手には昨日スポーツ洋品店でその手に持っていた物が納まっていた

 

自分たちの愛用していた型のテニスラケット

 

そして正確には、かつて俺が使っていたラケットだった

 

中学生時代、愛用していた物が同じという事もあり、ラケットをお互いの物と交換したのだ

 

「覚えとるで。懐かしいな」

 

「ホンマに」

 

ユーシは一息ついて続けた

 

「なぁ、明日テニスせぇへんか?」

 

俺は何となくそう言われるのではないかと感じていた

 

ユーシは昔から迷った事があると決まって俺と打ち合いをした

 

恐らく心では決意しているのだろうけど、その決意を表すための決断をテニスでしているようだった

 

今回もきっとそうなのだろう

 

昨日の夜の事をユーシなりに決めたのだ

 

俺の答えなど決まっていた

 

「勿論や。楽しみやな」

 

「おおきに。ほな、寝よか」

 

「せやな」

 

午前12時半

 

俺たちは布団へ入り、部屋の電気を消した

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3days

 第3日目

 

午前8時

 

昨日よりもスムーズに起床

 

夜にセットしたアラームの音で目が覚めた俺たちは「おはようさん」と一言交わしてそれぞれに伸びをした

 

「さて、起きるか」

 

そう言って立ち上がったユーシはすぐに寝巻きから服に着替えた

 

俺も便乗してそそくさと着替える

 

服の早着替えなどは慣れているから、結局俺の方が早く完了した

 

幼い頃はそれでもケンカになったものだった

 

どちらがより優れているかの張り合いばかり

 

命を懸けた戦いも数知れず

 

今思えばどれもくだらないものばかりだったが、その頃は全力投球だったのだ

 

着替えた物をきちんと畳んでボストンバッグに入れる

 

今日にはお互いこの家を出るので、荷物は朝のうちから最低限の範囲でしか出さないようにしておく

 

この辺りの几帳面さはユーシと一緒にいて身についたものだと思う

 

「さて、下行くか」

 

ユーシは立ち上がった

 

俺も後に続く

 

午前9時

 

家族全員珍しく揃った朝食だった

 

今日の朝食はパンケーキにオムレツ

 

フルーツも付いてきた

 

もはやホテルの朝食のようだった

 

それに俺は勿論青汁をプラスされていた

 

前日の夕食の時もそうだったが、食事中は明るい雰囲気だ

 

それは昔から変わらなくて、俺の家も同じだ

 

朝食を終えると2階へ上がる

 

そのまま出発の準備を進める

 

一度出てから荷物を取りに戻るのも面倒なので、荷物を持って出ることにした

 

俺が色々と準備をしている間、ユーシはさっさと自分の準備を終えた

 

「オトンとオカンに挨拶だけしてくるさかい、ちょっと待っとって」

 

「分かった」

 

ユーシは下に降りていった

 

俺は準備を続けた

 

10分くらいしたところでユーシは戻ってきた

 

「もう良ぇんか?」

 

「大丈夫やで」

 

その時には俺も準備を終えていた

 

「ほな、行くか」

 

「せやな」

 

俺たちは1階に降りた

 

俺もユーシの家族に3日間のお礼を伝えた

 

「また来てね、謙也君」

 

「はい。次ユーシが帰って来る時は必ず!」

 

そうして俺たちはユーシの家を出た

 

ユーシの手には来た時に持っていた荷物に加え、ラケットが2本

 

かつて自分が使っていた物と、ユーシが予備で持っていた物

 

俺たちは少し離れたストリートテニス場に向かった

 

午後12時

 

テニスコートに着いた俺たちはすぐにラケットをカバンから取り出した

 

「ケンヤはこっちが良ぇやろ?」

 

そう言って手渡されたのは、俺の名前が書かれたままの交換したラケット

 

「おおきに」

 

ラケットを受け取る

 

グリップを握る感触を確かめる

 

まるで昨日まで握っていたかのような、そんな感覚だった

 

準備運動をする

 

久しぶりに打つということで、ストレッチも入念に行った

 

格好はもとからラフな格好をしていたので着替えることはしない

 

ユーシがボールを取り出し、弾ませた

 

「懐かしいっちゅー感じでも無いな。ホンマに最近までやっとったみたいや」

 

俺と同じことを考えていたらしい

 

「ホンマやな」

 

そしてユーシが一言告げた

 

「折角やし、ラリーやなくて、軽く試合しよか」

 

「最初からそのつもりやったんやろ?」

 

「もうバレとったんか」

 

ユーシはやれやれという様に 苦笑いを浮かべた

 

コートを挟み、向い合わせに立つ

 

懐かしい景色が広がった

 

まるで自分たちだけ異空間にいるみたいだった

 

「いくで」

 

ユーシはボールをギュッと握った

 

次の瞬間サーブが飛んでくる

 

俺はそのサーブに答えるように、球に追い付き、レシーブをした

 

何度かラリーをした後、最初にポイントを取ったのはユーシだった

 

「めっちゃ本気になってきた」

 

俺は昔の感覚を取り戻した

 

そしてユーシのどの打球にも追い付いてリターンした

 

しかし、球に追い付き、リターンをするだけでは敵わないのがユーシだ

 

俺のスピードテニスは、相手の動きを見てとか、そういうのではない

 

ただ返って来た球を見て、そこに素早く移動するのだ

 

だからと言って、ユーシのそれが俺には無効というわけにはいかない

 

全くの曲者だ

 

ユーシはそれを知っている

 

だから今回もそう仕掛けてくる

 

俺はユーシの気配すら感じる事ができなくなる

 

人間技なのだろうか

 

いや、そんな事を聞くのはもはやタブーだろう

 

ユーシは心を閉ざした

 

そして繰り出される技の数々

 

追い付くことができても返すことができない

 

返すことができてもユーシのリターンでポイントを取られる

 

勿論ユーシだけにポイントを奪われるわけではない

 

俺も反撃をする

 

が、少しのところで及ばず試合終了

 

「また6-4かいな」

 

「大抵こうなるな」

 

「ホンマに悔しいわ」

 

ため息をつくと、ユーシはこちら側のコートに入って来た

 

握手を求める手

 

それに答えるように俺も手を伸ばす

 

一瞬強く握られて、すぐに離れたその手はとても熱かった

 

「ケンヤ、オレ…」

 

ユーシは真剣な眼差しをしていた

 

きっと一昨日の夜からの迷いの答えを告げようとしてくれているのだ

 

以前にもこんな事があったから

 

俺には分かる

 

ダテに物心つく前からずっと見てきたわけじゃない

 

「オレな、忍足の苗字継いで、オトンの歩いた道、進んでみようと思う」

 

「ユーシがそれで良ぇんやったら、良ぇと思うで」

 

ユーシは俺の言葉を聞いて安著したように笑った

 

午後2時

 

俺たちは少し遅めの昼食をとった

 

関西圏では有名なファミリーレストランに入った

 

メニューを見るなりユーシが「懐かしい」と小さく声を漏らした

 

小学生の頃はユーシの家族と俺の家族8人でよく食事に来ていたチェーン店だった

 

その頃は当然お子様メニューなるものを2人して頼んでいた

 

国旗のピックが刺さったオムライスにハンバーグスープとゼリーとジュースが付いていた

 

「ユーシ、お子様ランチやろ?」

 

「アホぬかせ。ケンヤが頼むんやろ?」

 

そんなことを言いながら

 

頼んだ物は2人とも丼ぶりだった

 

「運動した後はガッツリ食べたいねん」

 

俺たちは口を揃えて言った

 

午後3時

 

少しゆっくり談笑しながら食べたので店を出るのは少し遅かった

 

「そろそろ時間やな」

 

ユーシは4時半の新幹線に乗る予定だった

 

新大阪の駅までは少し距離がある位置にいるので、今から移動して丁度良い時間になるだろう

 

俺たちは電車に揺られながら、乗り継ぎを何度かして駅へと向かった

 

午後4時

 

少し早めではあったが、駅に着いた

 

広い構内をスイスイと歩く

 

この駅には慣れたものだった

 

東京の友人に箱菓子のお土産を買って、ユーシは両手が荷物で塞がった状態になっていた

 

「そのラケットも持ってくんか」

 

「おぉ。手元に置いとこう思ぅて」

 

「それも良ぇかもしれへんな」

 

俺は何だか納得してしまった

 

自分は実家を出たわけではないから、手元にあのラケットがある

 

常に見える所にあるわけでも、出してきて見るわけでもないが、ふと思い出したときに何時でも手に取れるのは良いのかもしれない

 

その安心感だけで、何かが変わる気がした

 

俺たちは電車到着の数分前にホームに着いた

 

勿論俺は新幹線には乗らないので、見送りチケットを買って入ったのだが

 

暫く何を喋るということなく、ただ黙って立っていた

 

ふいにユーシが言葉を発する

 

「ケンヤ、おおきに」

 

「俺は別に何もしてへんで」

 

ただユーシの言葉を聞いただけ

 

悩んでいる時

 

そして

 

出した答えを

 

「良ぇねん。オレが言いたかっただけや」

 

ユーシも俺がそう思っていると知っていて、礼を言ったのだ

 

それを俺も知っていた

 

言葉数多くなくても分かり合えるのだ

 

テレパシーとか、そんなのは信じていないけど、空気で分かる

 

お互いに

 

アナウンスが響き、電車が滑り込んで来た

 

ユーシは開いたドアの中に入った

 

そのまま指定された席へ移動すると窓から外を覗き込んだ

 

「何かあったら電話して来ぃ」

 

俺はユーシの読唇術のレベルを知らなかったが、そう伝えてみた

 

するとユーシは笑顔で頷いた

 

とことんまで凄い奴だ

 

一体どこまで何でもこなせるのか

 

ベルが鳴り、電車がゆっくりと動き出した

 

「また帰って来いよ」

 

そう伝えたら「ケンヤも東京に来い」と言われた気がした

 

俺は電車を見つめながら「頑張りや」と呟いた

 

俺はこの3日間の事を思い出しながら家に帰った

 

とても早くすぎてしまったが、楽しかった

 

ユーシのことだから、また暫くは帰って来ないだろう

 

「次は俺があっちに行くか」

 

俺は頭の中でぼんやりとそう思った

 

その時まで頑張ろうと心に誓った

 

負けず嫌いで昔から張り合って

 

だけど誰よりも分かり合ってる

 

家族よりも、友達よりも近い存在

 

大切な従兄弟

 

また会える日を俺はとても楽しみにしている

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2011年5月17日 (火)

恋をする瞬間

青空が広がっている

その下を歩いていた

隣にはクラスでも仲の良い女子

というか、幼馴染

今、何してるんだっけ?

あぁ、文化祭の買出しだっけ

そんな事を忘れるくらい良い天気だった

「なぁ、謙也」

「んー?」

「手、繋ぎたい」

「はぁ?!」

唐突に彼女が言い出した

「ほら、あれ」

彼女が示す方向には恋人同士が手を繋いで歩いていた

「いや、それで何で俺らが手ぇ繋ぐん?」

「良ぇやないの。手繋ぎたいんよ」

俺は何故だか分からぬまま彼女の言いなりになった

「アカンよ。恋人繋ぎせな」

「そこまでするんかい」

「勿論やんか。早ぅ」

言われるがままに恋人繋ぎに変更した

握った手を少し強く握り返された

彼女の方を見ると、唇を噛み締めていた

「なぁ、何か今めっちゃ幸せなんやけど」

今にも泣きそうな様子で彼女は言う

俺は掌に力を込めた

その瞬間、全てが分かった気がした

今、俺は彼女に恋をした

「ほな、これからずっとこうして歩くか?」

答えはもう分かっていた

可愛らしい笑顔で彼女は頷いた

ダメだ

今の俺は物凄く幸せ者だと思う

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2011年5月13日 (金)

想定中の想定外

ぼんやりとして形の無いもの

 

手を伸ばせば届くかもしれない

 

だけど、届いたら消えてしまいそうな気がする

 

そう思うと、怖くて手も動かせない

 

物理的距離は近いのに

 

心理的距離だって、側面から見れば近いのに

 

俺の求める距離は遙か彼方

 

一生かかっても縮まることは無い

 

「珍しいやん、真剣な顔して」

 

クラスメイトの白石が俺の視界に入った

 

心がどよめく

 

コイツは何時も俺の心をかき乱す

 

俺の悩みの種、張本人だ

 

「あぁ、好きなやつの事、考えててん」

 

「うっそ、ホンマに?誰?誰?」

 

「そんなん、言えるわけないやん。いくら仲良ぅても、言えへんこともあんねんよ」

 

そう、言えるわけがない

 

もし言ったらどんな顔をされるか

 

想像したら怖くなって、最後の方は声が震えた

 

「告白は?したんか?」

 

「・・・してへん、・・・ちゅーか、できへん」

 

「え?何で?何時もなら速攻で告白しとるやん。前なんか一目惚れでその日に告白しとったやんか」

 

まったくもってその通りだ

 

俺は待つのとか、モヤモヤするのが苦手だから、好きと思えば即行動に出ていた

 

だけど今回ばかりは違う

 

そんな事をして、クラスでも部活でもぎこちなくなるのは嫌なのだ

 

スピードよりも、保身が勝る時だってあるのだから

 

「ほんなら、練習してみたら良ぇんとちゃうか?なかなか言えへんのやろ?せやったら、何回か練習してみたら良ぇやんか。俺相手役やったるさかい。な?」

 

「せやけど・・・」

 

「大丈夫やって」

 

何も知らない白石は、俺の力になろうとしてくれる

 

そんな姿が俺の心をまたかき乱す

 

俺は友人を純粋にそれだけとして見ていられない

 

何故だか分からない

 

だけど、俺の中で白石だけが他の誰とも違う、特別なのだけは分かる

 

「ほら、早ぅ」

 

「・・・、」

 

「何をそんなに怖気とるん?らしくないやんか」

 

・・・確かに、その通りだ

 

これはあくまで俺の好きな子に告白をする練習に白石が付き合ってくれているだけ

 

白石への告白にはならない

 

それならば、この場だけを何とかやり過ごせば良いのだ

 

俺は腹を括った

 

「分かった」

 

「おぉ!それでこそ謙也や」

 

その笑顔に向けて一度だけ、本心を

 

きっともう二度と言わないだろうから

 

「俺な・・・、お前の事・・・す、好き、みたいなんやけど・・・」

 

ダメだ

 

もう練習という想定なのに、本番さながらに緊張している

 

まぁ本人を目の前にしてるから、当然なのかもしれないが

 

「俺も。好きやで、謙也」

 

その言葉が入ってきたのは俺が好きと告げてからすぐの事だった

 

「・・・ぷっ、俺ってなぁ・・・せめて私にしたってや」

 

告白成功の想定で進めてくれたのだろうか

 

それにしたら、随分と誤った一人称だ

 

俺は思わず笑ってしまった

 

「無理やって、俺がお前を好きなんやもん」

 

「・・・白石、自分が何言ぅてるか分かっとんのか?」

 

「分かっとるよ。十分。今の謙也の告白が誰へのものかも含めて」

 

冷静にそう言い放つ白石

 

俺は何が何やら分からない

 

「謙也、分かり易すぎやって。お前見てたらすぐ分かる。最近俺への態度全然ちゃうんやもん。加えて好きな奴がおるのに告白してへんのやろ?誰でも分かるで」

 

ニヤニヤと笑いながら白石はさらっと言ってのけた

 

「ま、俺のが謙也よりずっと前から好きやったけどな」

 

綺麗な顔が近づく

 

「なぁ、返事は?」

 

「・・・俺も白石が好きや。めっちゃ好き」

 

「当たり前やんな」

 

白石は満足そうに微笑んでいた

 

何だかんだでやっぱりお前には敵わない

 

そう思い知らされた気がした

 

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